介護の仕事に従事する中で、最も多くのスタッフが苦労し、かつやりがいを感じるのが「認知症ケア」ではないでしょうか。
「何度も同じことを聞かれる」「介助を強く拒否される」「急に怒り出してしまう」
こうした場面に直面したとき、プロの介護職としてどう振る舞うべきか。実は、複雑なテクニックよりも先に、絶対に守るべき「3つのしない」という原則があります。
それは**「否定しない」「驚かせない」「急がせない」**です。
あまりにも基本的だと思われるかもしれませんが、忙しい現場でこれを100%実践し続けることは、並大抵のことではありません。しかし、この基本を徹底したとき、現場の空気は劇的に変わります。今回は、プロの視点からこの「3つのしない」を深掘りし、根拠のあるアプローチ方法を解説します。
1. 否定しない:事実よりも「感情」の真実を優先する
認知症ケアにおける最大のタブーは、利用者様の言葉や行動を「否定すること」です。
なぜ否定してはいけないのか
認知症、特にアルツハイマー型認知症の方にとって、短期的な記憶は失われても「感情の記憶」は鮮明に残ります。
スタッフが「さっきも言いましたよ」「そんな事実はありません」と否定したとき、利用者様にとってはその「否定された」という不快な感情、あるいは「自分をバカにされた」「嘘つき呼ばわりされた」という怒りだけが心に蓄積されます。これが不信感となり、その後のあらゆるケアの拒否に繋がります。
「物盗られ妄想」への対応例
例えば「財布を盗まれた!」と訴える方に対し、「誰も盗んでいませんよ、思い違いです」と否定するのは最悪の対応です。
プロはこう答えます。「それは大変でしたね。不安ですよね。一緒に探しましょう」
これは嘘をつくことではありません。相手の「不安である」という感情の真実を認め、共感すること(バリデーション)です。感情を否定せず受け入れることで、利用者様は「この人は味方だ」と安心し、次第に落ち着きを取り戻します。
訂正ではなく「世界を共有」する
「家に帰る」という帰宅願望に対しても、「ここがお家ですよ」という訂正は不要です。「お家が気になるのですね。大切なお家ですものね」と一旦受容します。相手の世界観を否定しないことで、論争を避け、穏やかな関係を維持できるのです。
2. 驚かせない:安心のバリアを崩さない関わり方

認知症の方は、周囲の状況を把握する力(見当識)が低下しており、常に不安と隣り合わせで生活しています。
視野の狭さと空間把握への配慮
認知症が進行すると、視野が狭くなる(筒状視野)ことが分かっています。私たちが普段感じているよりもずっと、利用者様の「見えている世界」は狭いのです。
そのような状態のとき、背後から急に声をかけたり、横から突然肩を叩いたりすることは、暗闇で不意に誰かに触れられるような恐怖を与えます。
驚かせないためのプロのアプローチ
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正面から視界に入る: 話しかける際は、必ず利用者様の視界の正面、やや斜め前からゆっくりと近づきます。
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目線を合わせる: 立ったまま見下ろすと威圧感を与え、驚かせてしまいます。必ず腰を落とし、相手と同じか、やや低い位置から目を合わせます。
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「触れる」前の声かけ: 体を触る(介助する)前には、必ず「失礼します」「右腕を持ちますね」と予告の声をかけ、視覚と聴覚で準備を整えてもらいます。
「驚かせない」工夫を徹底するだけで、利用者様の反射的な拒絶反応や攻撃的な言動は大幅に減少します。
3. 急がせない:時間の感覚を相手に合わせる
現場が忙しいとき、ついつい「早く食べましょう」「早く歩いてください」と急かしてしまいがちです。しかし、この「急がせる」ことが、認知症ケアを最も困難にする要因となります。
脳の処理速度を尊重する
認知症の方は、情報を処理し、次の行動に移るまでに時間がかかります。
スタッフが「靴を履いてください」と言ったとき、その言葉を聞き取り、意味を理解し、自分の足の動きをイメージして実行するまでに、私たちの何倍もの時間を要します。ここで「早く!」と急かされると、脳はパニックを起こし、フリーズするか、あるいは興奮状態に陥ります(カタストロフィー反応)。
「5秒待つ」テクニック
プロの介護職が実践しているのは、声をかけた後の「待ち時間」です。
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沈黙を恐れない: 何かを伝えたら、心の中で「1、2、3、4、5」とゆっくり数えてみてください。このわずか数秒の沈黙が、利用者様に「自分で動くための準備」をプレゼントします。
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動作の完了を待つ: 食事の介助でも、口を動かしている最中に次のスプーンを運ぶのではなく、しっかり飲み込んで、一息つくまで待ちます。
「急がせない」ケアは、一見すると非効率に思えるかもしれません。しかし、急がせることで不穏になり、対応に1時間を要するよりも、5分ゆっくり待ってスムーズにケアが終わる方が、結果的に業務効率は高まるのです。
プロとしてこの「3つのしない」を継続するために
理論は分かっていても、人手不足や多忙な中で「3つのしない」を完璧に行うのは困難です。だからこそ、プロのチームとして以下のことを意識しましょう。
自分の心の余裕を管理する
イライラしていると、言葉に出さなくても表情や声のトーンに現れ、利用者様を「驚かせ」たり「急がせ」たりしてしまいます。疲れている時は早めに交代を申し出るなど、自分のメンタル管理もプロの仕事の一部です。
チームで「待ち時間」を共有する
特定のスタッフだけが頑張るのではなく、「〇〇さんは返事までに10秒かかるから、ゆっくり待とう」という情報をチームで共有します。全員が同じ「3つのしない」を共有することで、施設全体のケアの質が向上します。
まとめ
認知症ケアの成功を分けるのは、特別な魔法ではなく、以下の3つの基本の徹底です。
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否定しない: 事実の正しさよりも、相手の感情の真実に寄り添う。
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驚かせない: 正面から近づき、安心できる距離感と目線を保つ。
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急がせない: 相手の脳のペースを尊重し、数秒の沈黙を待つ。
この「3つのしない」は、利用者様を「症状」として見るのではなく、一人の「人間」として尊重することと同義です。
あなたがこの原則を意識して関わり始めたとき、利用者様の表情は和らぎ、今まで届かなかった言葉が届くようになるはずです。そして、何よりもあなた自身のケアに対するストレスが軽減され、介護という仕事の深さと喜びを再発見できるでしょう。
明日からの現場で、まずは「5秒待ってみる」ことから始めてみませんか?その一歩が、プロの認知症ケアの第一歩となります。