一生懸命ケアをしようとした瞬間に、「うるさい!」「触るな!」「泥棒!」と怒鳴られた経験はありませんか?
未経験の方にとって、それは恐怖であり、深い悲しみを感じる出来事だと思います。
しかし、そこで「私がダメなんだ」と自分を責める必要は全くありません。まずは、なぜそのようなことが起こるのか、敵(=認知症という病気)の正体を知ることから始めましょう。
なぜ怒鳴るの?その攻撃性は「あなた」に向けられたものではない

まず大前提として理解していただきたいのは、利用者様は「あなた個人」が憎くて怒鳴っているわけではない、ということです。
多くの場合、それは脳の機能障害によって引き起こされる症状の一つです。
脳の病気による「感情のブレーキ」の故障
私たち健康な人間は、イライラしても「ここで怒鳴ったら迷惑だ」と理性が働き、感情を抑えることができます。これは脳の前頭葉という部分が働いているからです。
しかし、認知症(特に前頭側頭型認知症やアルツハイマー型認知症など)が進行すると、この前頭葉の機能が低下し、感情のブレーキが効かなくなります(脱抑制)。その結果、些細なことで激高したり、思ったことをそのまま口に出してしまったりするのです。
不安や恐怖の裏返しとしての「防衛反応」
認知症の方は、記憶障害や見当識障害により、常に「ここはどこ?」「この人は誰?」「何をされるの?」という強い不安の中にいます。
あなたが入浴介助のために服を脱がそうとした時、相手には「知らない人に急に襲われて服を剥ぎ取られそうになった」と感じられているかもしれません。つまり、怒鳴る行為は、自分を守るための精一杯の「防衛反応」なのです。
その場でできる!自分を守る「物理的な受け流し方」

実際に怒鳴られた時、パニックにならずに対応するための具体的なステップを紹介します。
1. 物理的な距離を取る(安全確保)
怒鳴られた瞬間、反射的に謝ったり、なだめようとして近づいたりするのは逆効果です。興奮している相手に近づくのは、火に油を注ぐだけでなく、暴力を振るわれるリスクもあります。
まずは、相手の手が届かない距離(1.5メートル以上)まで静かに下がってください。視界から消える(一旦部屋を出る)のも有効な手段です。「逃げる」のではなく「刺激を遮断する」という立派なケア技術です。
2. 「否定」も「説得」もしない
「そんなこと言わないでください」「私は泥棒じゃありません」と正論で返しても、認知症の方には届きません。むしろ「否定された」という感情だけが残り、さらにヒートアップします。
「そうなんですね」「嫌な思いをさせてごめんなさいね」と、まずは相手の”怒りの感情”だけを受け止めます(受容)。事実は違っていても、相手の感情にだけ「イエス」を言うのがコツです。
3. 一呼吸置いて「待つ」
興奮状態は長くは続きません。数分〜数十分経てば、ケロッと忘れていることも多々あります。
別のスタッフに交代してもらうか、時間を空けてから何事もなかったかのように接するのが、お互いにとって傷つかない解決策です。
心を傷つけないための「メンタル・受け流しテクニック」

物理的な対応ができても、浴びせられた暴言は心に残ります。ここでは、自分の心を守るための心理的なテクニックを紹介します。
「仕事モードの自分」というユニフォームを着る
出勤して制服に着替えた瞬間、「今の私は『介護のプロ』という役を演じている女優(俳優)だ」と思い込んでください。
怒鳴られているのは「素のあなた」ではなく、「介護職員という役」です。舞台の上での出来事だと割り切ることで、言葉の刃が心に深く刺さるのを防げます。これを心理学的に「乖離(かいり)」や「役割取得」と言いますが、自分と仕事を切り離す重要なスキルです。
「病気が言わせている」と変換する
暴言を吐かれた時、主語を置き換える癖をつけましょう。
×「〇〇さんが私に『バカ』と言った」
○「認知症という病気が、〇〇さんに『バカ』と言わせている」
相手を憎むのではなく、「病気の症状が出ているな」と客観視することで、冷静さを保てます。「今日は症状レベルが高いな」と分析するくらいの気持ちでいましょう。
「宇宙人の言葉」だと思って聞き流す
言葉の意味を真に受けすぎないことも大切です。理不尽な内容(物を盗った、毒を入れたなど)は、事実ではありません。
日本語として理解しようとするから傷つきます。「今は、宇宙語を話しているんだな」「BPSD(行動・心理症状)という信号が出ているな」と、意味のない音として受け流すイメージを持ちましょう。
一人で抱え込まないことが最大の防御

新人のうちは「怒鳴られるのは自分の技術が未熟だからだ」と思い込み、誰にも相談できずに抱え込んでしまいがちです。しかし、それは間違いです。
記録に残し、チームで共有する
「いつ、どんな状況で、何と言って怒鳴られたか」を必ず介護記録に残し、申し送りで先輩や上司に報告してください。
これはあなたの愚痴ではありません。「〇〇さんはこういう状況で興奮しやすい」という貴重なケアの情報です。共有することで、「それは誰にでも起こることだよ」と慰めてもらえたり、「次はこうしてみよう」と対策を立てたりすることができます。
オフの時間は完全に忘れる
退勤したら、介護のことは一切考えないようにしましょう。好きな音楽を聴く、美味しいものを食べる、しっかり寝る。
ストレスを持ち帰らないことが、明日も笑顔で利用者様に会うためのエネルギーになります。
まとめ
認知症の方からの暴言や怒りは、介護職を続けていれば必ず直面する壁です。
しかし、それはあなたが悪いわけでも、相手があなたを嫌っているわけでもありません。
「距離を取る」「演じる」「病気のせいにする」。
この3つの受け流しスキルを持っておくだけで、心は随分と軽くなります。
真面目な人ほど正面から受け止めて傷ついてしまいますが、プロとして「上手に受け流す」ことは、自分を守るためだけでなく、結果として利用者様に優しく接し続けるために必要な技術なのです。
完璧を目指さず、少しずつ「柳に風」のようなしなやかな対応を身につけていきましょう。