認知症ケアにおいて、技術的な介助スキル以上に重要なのが「コミュニケーション」です。特に認知症の方は、記憶や認知機能が低下していても、「感情」は豊かに残っています。「何を言われたか」は忘れても、「嫌な言い方をされた」「優しくされた」という感情の記憶は長く残るのです。
適切な声かけは、利用者様の不安を取り除き、BPSD(行動・心理症状)を軽減させ、結果として私たち介護職の負担も減らしてくれます。まずは基本となる心構えから確認していきましょう。
声かけがうまくいかない理由と基本の「7つのルール」

なぜ、こちらの意図が伝わらないのでしょうか。それは、認知症の方が見ている世界と、私たちが見ている世界が異なるからです。情報処理が追いつかず、常に不安の中にいる方に、早口で指示をしても恐怖を与えるだけです。
以下の7つのルールを意識するだけで、反応は大きく変わります。
1. 正面から近づき、目線を合わせる
後ろや横から急に声をかけると、不意打ちされたと感じて驚かせてしまいます。必ず視界に入る位置(正面)からゆっくり近づき、相手と同じ高さに目線を合わせてから話し始めましょう。これは「あなたに敵意はありません」という最初のサインです。
2. 「待つ」時間を恐れない
問いかけてから返答があるまで、あるいは行動に移るまでには時間がかかります。沈黙が怖いからといって、矢継ぎ早に質問を重ねるのはNGです。相手が情報を処理している時間だと捉え、笑顔で数秒〜数十秒待つ余裕を持ちましょう。
3. 一つの文章は短くシンプルに
「立って、あっちのトイレに行って、ズボンを下ろしましょう」といった複数の情報を一度に伝えると混乱します。「立ちましょうか」で一度区切り、立ったら「あっちに行きましょう」と、一つの動作につき一つの声かけ(シングルタスク)を心がけます。
4. 低めのトーンでゆっくり話す
高齢者は高音が聞き取りにくい傾向があります(老人性難聴)。甲高い声で励ますよりも、少し低めの落ち着いたトーンで、普段の会話よりもゆっくり話す方が、安心感を与え、言葉も届きやすくなります。
5. 否定語・命令形を使わない
「走らないで」「座って」といった禁止・命令は、自尊心を傷つけ、反発を招きます。「ゆっくり歩きましょう」「ここに座ると楽ですよ」といった、肯定的な提案(依頼)の形に変換しましょう。
6. 驚かせない、触れるときは声をかけてから
無言で体に触れるのは、健常者でも不快なものです。認知症の方にとっては攻撃と受け取られかねません。「肩に触れますね」「服を緩めますね」と、必ず直前に実況中継のような声かけを行ってください。
7. 具体的な言葉を選ぶ
「あれ」「それ」「ちゃんとして」という代名詞や抽象的な言葉は伝わりにくいです。「お箸を持ちましょう」「右足を上げましょう」と具体的に伝えます。
【シーン別】拒否を解決する具体的な声かけフレーズ

ここからは、現場でよくある「困った場面」で使える具体的なフレーズを紹介します。ポイントは、相手の「納得」を引き出し、目的を少しずらすことにあります。
入浴拒否がある場合
「お風呂に入りましょう」という直球の言葉は、「服を脱ぐのが寒い/恥ずかしい」「何されるか怖い」という拒否反応を引き起こしやすいです。
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言い換え例:
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「背中を流させていただきたいので、お手伝いしてもらえませんか?」
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「いいお湯加減か見てほしいんです」
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「汗をかいたので、さっぱりしに行きましょうか」
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「あちらで温かいお茶でも飲みませんか?(まずは脱衣所へ誘導する)」
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「お風呂」という単語を使わずに、心地よさや別の目的を提案するのがコツです。
食事を食べてくれない場合
食事だと認識できていない、あるいは食べ方がわからない場合があります。
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言い換え例:
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「今日は〇〇さんの好きな煮物ですよ。いい匂いがしますね」
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「一口だけ味見してみませんか?」
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(箸を持って)「こうやって持つと食べやすいですよ、一緒にやってみましょう」
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無理強いせず、隣でお茶を飲んだりして「食事の時間」の雰囲気を作ることも大切です。
トイレに行きたがらない・失禁してしまう場合
プライドが高く、トイレの失敗を認めたくない方も多いです。
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言い換え例:
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「そろそろズボンを履き替えましょうか。新しい方が気持ちいいですよ」
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「ちょっとトイレの場所を確認しに行きましょう」
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「私がトイレに行きたいので、ついてきてもらえませんか?」
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「排泄」を目的とせず、「着替え」や「付き添い」という名目にするとスムーズな場合があります。
「家に帰りたい」という帰宅願望がある場合
「ここは施設ですよ」「もう帰れません」という事実は、不安を増幅させるだけです。まずはその気持ちを受け止めます(共感)。
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言い換え例:
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「家が心配なんですね。どんなお家なんですか?(話を聞く)」
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「今は暗くてバスがないので、ここで一晩休みましょう。朝になったら考えましょう」
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「お茶を入れてきますから、少し休んでいきませんか?」
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否定せず、「あなたの言っていることはわかります」と受容し、お茶やお菓子などで話題を転換(気分転換)を図ります。
関係を悪化させる「NGな声かけ」

良かれと思って言った言葉が、実は認知症の方を傷つけていることがあります。以下のパターンには注意が必要です。
子供扱いする言葉(スピーチロック)
「はいはい、よしよし」「お利口さんですね」「〇〇ちゃん」といった言葉遣いは、人生の大先輩に対して失礼にあたります。親しみを込めているつもりでも、相手は「馬鹿にされた」と感じます。常に敬語を基本とし、人生の先輩としての敬意を払いましょう。
試すような質問(テスト)
「私の名前わかりますか?」「さっきご飯食べましたよね?」といった質問は、答えられない不安や恥ずかしさを感じさせます。記憶力を試すような会話ではなく、「〇〇です、今日もよろしくお願いします」「ご飯美味しかったですね」と、答えを提示しながら話しかけるのが優しさです。
「さっきも言いましたよね」という指摘
同じことを何度も聞かれるのは介護職にとってストレスですが、「さっき言った」という事実は相手の記憶にはありません。「初めて聞いた」という新鮮な反応をするか、「そうでしたね」と軽く受け流すスキルが必要です。
まとめ
認知症の方への声かけに「絶対の正解」はありません。その日の体調や気分、これまでの生活歴によって、響く言葉は一人ひとり違うからです。
しかし、基本となるのは**「相手の世界を否定せず、感情に寄り添うこと」**です。
「お風呂に入ってほしい」というのはこちらの都合です。相手にとっては「服を脱がされる怖い場所」かもしれません。その恐怖心を取り除くために、どんな言葉なら安心してもらえるか。それを考え抜くことが、プロの介護職の役割です。
うまくいった声かけ、失敗した声かけをチームで共有し、その利用者様専用の「安心ワード」を見つけていきましょう。あなたの優しい声かけ一つで、利用者様の表情が笑顔に変わる瞬間が必ず訪れます。